看護師の娘よ、笑わないでくれ!!

今月の3日、つまり1月3日のまだ三が日中の出来事なのですが、寝室の中で布団に滑って窓のサッシに後頭部を強く当ててしまいました。痛みは大したことなかったのですが出血量が多く3時間ほど経っても収まらないので、場所も場所なので最寄りの病院にお世話になりました。

とは言ってもまだ日本の病院はほとんど祝日営業中。私の行った病院も救急診療扱いになり、常任の先生がいらっしゃるわけではありませんでした。受付けを済ませ、タオルで頭を押さえながら待っていると10分ほどで名前を呼ばれたので、中に入りました。

先生は少し私の頭の傷を見て、「あっ!これダメですねバックリいってます!今からホチキスで縫いますから!いいですね!」と言ったのでびっくり。
ホチキス?ホチキスって何?あの文房具でつかうやつ?え?あれで止めるの?と一瞬で頭の中がグルグルしましたが、今は医療用ホチキスという傷を止める器具があるそうで・・・。でも、手術かぁ。時間結構かかるのかな?と思っていたら、先生から思いもよらぬ一言。

「麻酔とかって、いる?」

「いや、いるでしょう!傷、4cmくらいあるんですよ!死んじゃうでしょう麻酔無かったら!拷問じゃないんだからさ!」と叫びたくなる気持ちを抑え、「い、いります・・・」と答えたのですが、先生曰く場所的に縫うのも麻酔の注射も痛みは同じくらいらしいのです。
そうかなるほど、後頭部って皮膚薄いですものね・・・。同じ痛みを2回味わう必要もないので、恐れつつも麻酔無しを選択。

簡易ベッドに通され、横向けになります。看護婦さんが2人ほど私が暴れないように押さえてくださいました。勿論意識はあります。というか、恐怖で目も意識もランランです。「では、いきますよ!3針いきますからね」と言われた瞬間、耳のすぐ後ろでバチン!!と大きな音が。
息を飲んだのもつかの間、そのままバチン!バチン!おまけにバチン!いやいや3針って言ったじゃん!

人間というのは不思議なもので、恐怖が一定以上上回ると、痛みをあまり感じないものなのですね。「後頭部をホチキスで麻酔無しで縫う」だなんて痛くて気を失うような体験かと思いましたが、予想よりずっと楽でした。もちろん痛くはありましたが、紙で指を強めに切った程度の痛みしか記憶にありません。

あとで岐阜で看護師をしている娘にこのことを話すと、大笑いされました。いや、医者や看護師なら何てことない話なんだろうけど、一般人が頭にホッチキスとか麻酔なしでとか言われたら普通ビビるでしょ・・・。ちなみにうちの娘、岐阜に嫁いで今はこちらのサイトを参考にパートで看護師をしています
看護師求人岐阜|条件のよいパートの探し方【※私の転職体験談】
娘にはもう少し患者に優しい看護師であってほしいと思います。

今年の残りは良いことがありますように・・・。

大切な人を、早く笑顔にするために是非、実現したいこと

病院旅行を終えて帰宅すると、大切な人が集中治療室に入院中との思いがけない知らせに、コートを脱ぐ間もなく病院に駆けつけると、病院のベッドにうっすらと涙を浮かべてねていた叔母と目が合いました。幼い時から母代りになって育ててくれた、ある意味では母よりも大切な身近な人です。

子育ても終わり、子供たちも何とか就職をして、暮らし向きが落ち着き、これからは、今までは出来なかった旅行をしようねと言っていた、本当にこれからようやく恩返しを、楽しいことを一緒に味わおうと言っていた矢先の返事でした。思いもかけない事態です。

ベッドのわきに駆け寄り、手を握り、ごめんなさい、知らなかったのというはしから、涙がこぼれおちて止まりませんでした。私がそばにいれば、もっとはやくに異変に気がつき、こんなことにはならなかったのではないかと胸がつぶれる思いでした。なぜ、なぜこんなことに、どうして、どうしてと言葉がぐるぐると際限なく頭の中を回っていました。

果ては、留守中、ちょうど泊まりに来ていた息子が、もう少し気をつけてくれていたら、こんなことにはならなかったのではと責める言葉が止めても止めても吹きあがってくるのです。この時が、私の介護の始まりでした。

脳梗塞。叔母を襲った病名です。一分一秒を争う治療なのですが、やさしい叔母は、せっかく遊びに来ている息子を思って、具合の悪いのをぎりぎりまで我慢していたそうです。悔やんでも悔やみきれませんでした。早く言ってくれていたら、こうはならなかったのに、ぶつけどころのない厚い思いが静まりませんでした。

小脳につながっている太い血管が何本もつまっていて、悪くすると寝たきり、言葉もどこまで話せるようになるかわからないと医師は言います。目の前が真っ暗になりました。私が頑張らなくては、私が何とかしなければと只その思いだけでした。

母子家庭で、生涯現役で自分と家族を養っていく運命を選択した私は、仕事を続けながらこれからの介護に向かって進んでいました。私の顔をみると、みるみる目から涙をあふれさせ、ごめんねと回らない口であやまるような叔母に、毎日病院に通い、頑張ってと言い続けました。

今から思えば、悲壮感丸出しの顔で、さぞや怖い顔だっただろうと申し訳ない気持ちでいっぱいです。叔母は血管がもろくなっているそうで、血栓の解ける点滴での治療です。その間、ベッドで寝たきりなのです。このまま叔母は自分の足で歩くことは出来なくなるのだろうかと思うと、毎日焦りが増すばかりでした。

インターネットで検索をして、情報収集を図りましたが、身近に医療関係者がおらず、右往左往しながら、五里霧中でこれからの方針をきめていったように思います。何もかもが初めてなので、何をどう調べて、何を誰に聞けばいいのか、何を質問すればいいのかも手探りでした。

叔母の変事で思うのは、患者本人とその家族を一つのパッケージをしてケアするシステムが必要ではないかという事です。患者、家族ともに、病気そのもとと合わせてメンタル部分のケアが大切ではないかと強く感じます。ケースワーカーの方、看護師、医師、ケアマネージャー、其々が専門の分野を持ち寄り、定期的に患者、家族を交えて治療にあたれるなら、患者家族ともに更に良い結果に結びつき、早い回復にも影響を及ぼすように思えます。