大切な人を、早く笑顔にするために是非、実現したいこと

病院旅行を終えて帰宅すると、大切な人が集中治療室に入院中との思いがけない知らせに、コートを脱ぐ間もなく病院に駆けつけると、病院のベッドにうっすらと涙を浮かべてねていた叔母と目が合いました。幼い時から母代りになって育ててくれた、ある意味では母よりも大切な身近な人です。

子育ても終わり、子供たちも何とか就職をして、暮らし向きが落ち着き、これからは、今までは出来なかった旅行をしようねと言っていた、本当にこれからようやく恩返しを、楽しいことを一緒に味わおうと言っていた矢先の返事でした。思いもかけない事態です。

ベッドのわきに駆け寄り、手を握り、ごめんなさい、知らなかったのというはしから、涙がこぼれおちて止まりませんでした。私がそばにいれば、もっとはやくに異変に気がつき、こんなことにはならなかったのではないかと胸がつぶれる思いでした。なぜ、なぜこんなことに、どうして、どうしてと言葉がぐるぐると際限なく頭の中を回っていました。

果ては、留守中、ちょうど泊まりに来ていた息子が、もう少し気をつけてくれていたら、こんなことにはならなかったのではと責める言葉が止めても止めても吹きあがってくるのです。この時が、私の介護の始まりでした。

脳梗塞。叔母を襲った病名です。一分一秒を争う治療なのですが、やさしい叔母は、せっかく遊びに来ている息子を思って、具合の悪いのをぎりぎりまで我慢していたそうです。悔やんでも悔やみきれませんでした。早く言ってくれていたら、こうはならなかったのに、ぶつけどころのない厚い思いが静まりませんでした。

小脳につながっている太い血管が何本もつまっていて、悪くすると寝たきり、言葉もどこまで話せるようになるかわからないと医師は言います。目の前が真っ暗になりました。私が頑張らなくては、私が何とかしなければと只その思いだけでした。

母子家庭で、生涯現役で自分と家族を養っていく運命を選択した私は、仕事を続けながらこれからの介護に向かって進んでいました。私の顔をみると、みるみる目から涙をあふれさせ、ごめんねと回らない口であやまるような叔母に、毎日病院に通い、頑張ってと言い続けました。

今から思えば、悲壮感丸出しの顔で、さぞや怖い顔だっただろうと申し訳ない気持ちでいっぱいです。叔母は血管がもろくなっているそうで、血栓の解ける点滴での治療です。その間、ベッドで寝たきりなのです。このまま叔母は自分の足で歩くことは出来なくなるのだろうかと思うと、毎日焦りが増すばかりでした。

インターネットで検索をして、情報収集を図りましたが、身近に医療関係者がおらず、右往左往しながら、五里霧中でこれからの方針をきめていったように思います。何もかもが初めてなので、何をどう調べて、何を誰に聞けばいいのか、何を質問すればいいのかも手探りでした。

叔母の変事で思うのは、患者本人とその家族を一つのパッケージをしてケアするシステムが必要ではないかという事です。患者、家族ともに、病気そのもとと合わせてメンタル部分のケアが大切ではないかと強く感じます。ケースワーカーの方、看護師、医師、ケアマネージャー、其々が専門の分野を持ち寄り、定期的に患者、家族を交えて治療にあたれるなら、患者家族ともに更に良い結果に結びつき、早い回復にも影響を及ぼすように思えます。

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